認知症の母の看取りを終えて 【遠距離介護】

認知症の母の看取りを終えて…私の事例のふりかえり

【遠距離介護】

介護と仕事の両立を目指し、職種変更を願い出て、東京⇄鳥取の遠距離介護が始まりました

介護認定調査を受け、1ヶ月ほどして「要介護1」の結果が
それを受け、昼間 家でひとりで過ごす母の 衰えつつある言語機能を保持する助けになればと思い、すぐにデイサービスの手続きを進めました
まずは週1日から始め、慣れてきたら週2日に変更しました

この頃は実際に見ていないので、母がどんな様子なのかがわかりませんでしたが、無事に通っているというだけでほっとしていました

同時に、認知症の進行抑制の効果を期待して、犬を飼いはじめました
これは結果としては、逆効果でした(≧∇≦)
というのも、犬種の選択が認知症患者に向かなかったのです
私が選んだのは、抜け毛が少なく、お手入れが比較的容易だというパピヨン
ただし、パピヨンは活発な犬で、年老いた母にとって、「散歩」が負担となってしまいました
途中から、リードのつなぎ方がわからなくなり、犬の首に直接リードを巻きつけて散歩させていたそうで、それが犬のトラウマとなり、人を怖がるようになってしまいました
今では大丈夫になりましたが、母にも犬にも申し訳ないことをしたと思います

あと心配だったのは、真夏にエアコンを入れているかどうかという心配があったので、必ず何度か電話して確認しました
それでも本当に入れているかどうかは不安でした
今はこれらはスマホで管理できるので、この心配はいりませんね

それ以外で重要なのが、金銭面
職種を変わったので、基本給こそ全社員共通の「グレード」で設定されるため 変更はありませんが、職種手当が変わるため、その分収入が減ります
でも、月に一度の往復の交通費は確実にかかる
その交通手段は飛行機
そこで 航空会社に介護割引を申請しました
これは急に帰らなくてはいけない状況になっても席を確保することができたり、マイルも貯まるので、チケット代に充てることができたりと、本当に助かりました

仕事面では、後任への引き継ぎを中心に、WEB通販サイトの業務を並行して行なっていました
この業務に関しては、元々 会社がWEB通販サイトでの販売をスタートさせた当時、担当として携わっていたため、流れを理解していたこと
マーチャンダイザーとして 担当ブランドの商品企画開発に携わっていた経験も加わり、以前にも増して、様々な角度からの見方ができるようになっていたこともあり、スムーズに入ることができました
ただ、マーチャンダイザーとしてブランドの立ち上がりからメンバーと一緒に作り上げてきて、これから店舗数が増え、もっとおもしろくなる時期
自分にとって あまりにも やり甲斐を感じて仕方のない仕事
その仕事を手放さなければならない状況
実際に手放した現実
この喪失感は大きく、なんとか状況がよくなってまたマーチャンダイザーとして復帰できたら…
ただただそう思って、この段階での退職は全く考えていませんでした

またこの頃は SNSで同じように認知症患者の家族を抱える方たちとやりとりしていました
介護において自分が抱える不安、母にあらわれる症状などを共有して、「気持ちがわかるもの同士、互いに支えあう」「苦しんでいるのは自分ひとりじゃない」という感覚を持っていました
今思うと、この頃は「母が 思いがけず認知症になってしまい、仕事も生活も犠牲にしなきゃいけない かわいそうな自分」に酔っていたような気がします

まだまだ「現実を見ていない あまちゃん」でした(๑˃̵ᴗ˂̵)

この続きはまた…

Kokoro-Ne/幸福文字−ふくもじ−・しあわせ音読・夢拾い Sun in 山陰

夢 【50年後も 100年後も 山陰を 日本を 世界を 輝く笑顔のこどもたちでいっぱいにする】 ☆幸福文字−ふくもじ−⇨認知症予防、癒しの筆画文字講座 、作品制作販売、イベント出店、展示活動 ☆しあわせ音読⇨音読で、楽しみながら認知症予防 ☆夢拾い Sun in 山陰 ⇨境港、松江、東出雲、雲南、出雲平田、美保神社、広島でごみ拾いボランティア活動中

0コメント

  • 1000 / 1000