認知症の母の看取りを終えて…【兆し】

認知症の母の看取りを終えて
(文中の症状など、内容は、あくまでうちの母の事例となります。同じ病気であっても、症状は人によって異なります)

【兆し】

母の様子がおかしいと感じたのは
2010-2011年の年末年始休暇で実家に帰った時
以前から 昼食に スーパーで買った握り寿司を用意してくれることがありましたが、この時は、その握り寿司をレンジで温めて出してきました

「なんで温めたの?」と聞くと、「生ものは危ないけん」という答え
???
旦那と二人でおかしいなと話しました

しばらくして、3.11の震災が発生。
当時勤務していた会社は仙台にも複数のショップがあり、スタッフが避難所生活をしているので、会社から支援物資を届けようという話がありました。
当時、東京も計画停電などで混乱が続いており、物資も調達できなかったので、私は実家に戻って物資を調達しようと帰省しました。

スーパーを回って物資を調達していると、いつもは
「大変だなぁ、これも入れてあげやい」と言うであろう母が
「なんであんたがそげなことせんといけんだ」と言ってきました。
おかしいなと思いましたが、そのまま東京に戻りました。

その後、弟からこんな連絡がありました
「ばぁさんがスーパーで万引きして、警察に捕まった。受け答えがおかしいから、一度病院で診てもらうように勧められた。」

慌てて実家に帰り、嫌がる母をごまかし、ごまかし 病院に連れて行きました。
まずは、何科を受診すればいいのかがわからなかったため、地元の総合病院に行き、受付で神経内科を勧められ、受診しました。

頭部CT検査、問診、簡単なテストを受け、その結果は、前頭葉と側頭葉の萎縮が大きく、前頭側頭型認知症と診断されました。

簡単に言うと、
前頭葉は「理性を司るところ」=萎縮すると 善悪の判断がつきにくくなる
側頭葉は「言語を司るところ」=萎縮すると 物の使い方はわかっていても、名前が出て来なくなる

医師から提示された 主だった前頭側頭型認知症の症状の資料の中に「万引き」も入っており、弟が「これだったか!」と叫んだのを覚えています
後になって聞いたことですが、これ以前にも同様のことがあったらしく、弟は私に心配をかけないよう、黙っていたそうです

前頭側頭型認知症は、「人格が変わってしまうため、家族の負担が特に大きくなるだろう」と言われ、具体的に今後どうなっていくのかについては、個人差があるからと明言はありませんでした

この「人格が変わる」「家族の負担が大きい」「症状には個人差がある」という言葉に、当時 どんな心構えをしたらよいものかと大きな不安を感じました
もっとも「個人差」については、後になって理解できるようになりましたが…

その場で医師が 地域の『包括支援センター』に連絡を入れてくれ、担当者と面談し、介護認定の説明を受け、ケアマネジャーを紹介してもらい、手続きを進めていくことができました

初めてのことで、システムも理解できず、あれよあれよと状況だけが勝手に進んでいき、それに追いついていかない感覚でした

でも、大切なことは、『わからないことは聞けば必ず必要なところにたどり着くことができる』ということ 
ひとりで抱え込むことはせず、その道のプロの力を借りること
このプロの力、とっても大切ですよ

今回はここまで
この続きはまた…

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